震災から一週間

この一週間、とても慌しく過ぎていきました。震災当日、会社で激しく揺さぶられて机の下に隠れて悲鳴を上げていました。それからはトイレに行くのもどこへ行くのもコートを着てバッグを持って。電車が止まって帰れないことがわかり、8階のオフィスから一度したへ降り、銀行でとりあえず5万円を下ろしました。コンビニでおにぎりとパンを買い階段でオフィスへ。その後も何度も大きな揺れに見舞われ緊張の連続でした。ソファに横になるもほとんど眠れず、おきだしてはPCのユーストリームでニュースを見ました。夜中から少しずつ電車が動き、昼過ぎになんとか電車で帰れる見通しがついたので帰りました。
地元の駅に着くと、お天気がよくてこの騒動がうそのようにおだやかでした。家の中は想像したような被害はありませんでした。靴箱、ピアノの上に置いておいた本や雑誌、電子レンジの上に置いていた空き瓶や密封容器、キッチンに置いてあった油の瓶3本。そういったものが落ちていただけで拾えば済むものばかりでした。ほっとしました。
翌日の月曜は電車が動かず強制的に会社は休み。隣の駅の病院へ喘息の診察へ行くために歩いて往復しました。そのとき、大型スーパーも小型スーパーも入場制限するほどお客さんが殺到しているのを見ました。日曜まではそんな光景はなかったのに。誰かが買い始めるとみんなが殺到するパニック的な行動。オイルショックもこんな感じだったんだろうなと思いました。私は幸い一人暮らしだし、大抵のものはそこそこのストックがあったのでびびりながらも行列には参加しませんでした。
火曜からは電車が少しずつ動くようになり、みんなも早めに出勤するとかしているようでそれほどの混乱はありませんでした。帰りの電車も朝みたいな満員電車でしたが。お昼ごはんはコンビニに並ぶ商品が少ないので朝のうちに買っておけばなんとかなりました。会社の帰りにスーパーに寄ろうとするとどこも早仕舞いで開いているお店がなく。。。それでもその翌日からは遅くまで開けるお店も出てきて、なんとか食べ物とかも買えるようになりました。パン屋さんは早朝から店を開けているので買おうと思えば買えるようになりました。
輪番停電がはじまり、毎日自分の家の停電時間になると緊張。家にいて停電を待っていると停電回避になったり、きのうは22時まで停電だったので停電が終わるころに帰宅したのですが、停電があったのかどうかわからず仕舞い。停電と電車の運行状況を毎日確認する日々です。

震災のニュース番組しかやってないし見ていなかったけど、木曜あたりから普通の番組も放送するようになってきて、ちょっとほっとしました。悲惨な現実ばかり見ていると通常生活が危うくなるかもしれません。元気に動ける環境の人は、精神の健全を保つためにも明るい話題、明るい番組も必要だなと思います。

今日は朝から整形外科に行って、携帯ショップに行くつもりが、起きられず、気力が出ず、引きこもり生活になってしまいました。まあ、体を休めるために家にいることにします。

母から電話があって、気分が滅入るからあなたが置いていった「水曜どうでしょう」でも見ようかな。って言われました。水曜どうでしょうはこういうときには適した笑いを提供してくれそうですよね。私もなにか、気分が明るくなるビデオでも見たいと思います。そして明日はもう少し元気に行動したいと思います。

今回の震災で、一番の激震地がクローズアップされる一方、福島とか茨城とかの被災地が見捨てられているという話がありました。報道もされず、救援物資も届かず。そういうところにも今は救援の手が伸びているのでしょうか。そして、さらに、私たち関東の人間にあまり知られていない身近な被災地があります。浦安です。東京ディズニーランドの近辺が液状化で営業停止というニュースがありましたよね。でもそれ以外のニュースは全然目にしなかったのです。おととい、浦安の友人からメールがあり「やっと水が出るようになった」というのです。いままで断水していたの?とびっくりしました。それで、新浦安に住む知人にもメールしてみたら、そこが一番の被災地なんだそうで、上下水道ともに使えなくなっていて、給水と簡易トイレの生活だということでした。新浦安は道が波打つようになっていたり交番の入り口が沈んでしまっていたり、車や自転車のタイヤが埋まってしまっていたり、マンホールが押し出されて2メートルくらい浮き上がっていたり。ほんとうにひどい被害があります。下水道の修復も一ヶ月以上かかるそうです。下水がダメだとトイレだけじゃなくお風呂も入れないだろうし、生活に激しく支障があると思います。

いま、被災地の人を受け入れている自治体が増えています。みなさんの近くにも被災地から来た人々が暮らしているかもしれません。遠くの被災者だけじゃなく、身近にも被災者がいたら支援の手を差し伸べてあげてください。